photographerへの道_Digest

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ようこそ、ほんぼうのブログへ。

なぜ、コンビニのバイトさえ落とされた何の取り柄もないコミュ障の私が、年商8桁を達成するフォトグラファーになれたのか?ダイジェストでお届けします。

私は宮崎の都城市と言う小さな町で産まれました。町ではオシャレな高校生とちょっとした有名人!自信満々に宮崎からファッションデザイナーを目指し上京。しかし、1年で挫折し一瞬で300万の学費が消えます。やりたい仕事が一切思い浮かばない。夢なんて何もない。人生の目標を失いクズ人生がスタート。

生きる為にあるゆるバイトを試すが最長3ヶ月。コンビニのバイトすら落とされるしまつ。私のこれからの人生はどうなるのだろうか?生きる喜びもない真っ暗闇。そんな時にフォトグラファーと言う職業に興味をもつ。おしゃれでカッコ良い仕事!写真を撮る事が好きと言うより、職業に憧れた。どのように進めば良いか?当時はインターネットはありません。本を読んだり、先輩に話しを伺いに行った絶妙なタイミングでアシスタント募集中の有名フォトグラファーがいるよ。と紹介して頂け奇跡的にアシスタントになれる。タイミングはマジ大事。

当時はカメラ知識もない青年がアシスタントになれるのはスーパー奇跡。アシスタントの仕事は、カラーメーターの使い方からはじまり。フィルム入れ、レフ持ち、ライティングサポートなど完全に裏方の仕事。辛い日もあったが学びもある。何より夢に向かっている実感があるので充実していた。ただ、生活は超絶貧乏。主食はシーチキンとごはん。空いた時間はデータ入力のアルバイト。過酷な環境だったがあっという間に4年近く月日が流れる。その後、紆余曲折(詳しく知りたい方はこちら)あったが、広告関係のフォトスタジオで商品のライティングと実際に撮る経験を積み念願のフリーランス、フォトグラファーとして独立。

アシスタント時代の名刺を頼りに営業にまわる。一番最初に頂いたお仕事は、雑誌ぴあさんから演出家:宮本亜門さんのポートレート撮影依頼。忘れもしません。中古で購入した大型ストロボをレンタカーに積み撮影現場に向かう。諦めなくて良かった。と冗談抜きに涙がポロリ。

最初の宮本亜門さんの撮影が好評で、竹中直人さん、中居正広さん、綾瀬はるかさん、海外のビックスターJung-Woo-sungj氏など、ビックネームのタレントさんの撮影依頼が次々に入り100人以上は撮影させて頂きました。見たい人はメルマガ登録してね♪ここでは書ききれないので割愛しますが仕事は凄く楽しかったです。友人からは雑誌見たよ。あれ見たよ。と言われ小躍りする気持ちで喜んだ。某大手塾の新聞15段広告から化粧品広告、雑誌の表紙、明治神宮の季刊誌、学校案内など仕事の幅もどんどん広がり沢山の貴重の経験をさせて頂いた。ハッキリ言って、フィルム時代のフォトグラファーはライティングスキルがめちゃくちゃ高いです。デジタル時代はその場で確認して修正出来ますが、フィルム時代は失敗が許されない一発勝負。ドキドキ感の中で仕事していましたから撮影スキルが高くて当然です。

え、写真教えて欲しい!という方はこちら

ただ、フリーランスの仕事は順風満帆とはいきません。仕事が無く不安な時期も沢山経験しました。営業に行くけど直ぐに仕事に繋がらない事がほとんど。時にはバカにされ悔しい思いも沢山しました。仕事が無い時は不安との葛藤の日々。当時は腕が悪いから仕事が減ったのかな。写真を撮らなくては。とずっと考えていました。そんな、山あり谷ありを経験する中で人生の大きな転機が訪れます。

結婚。そして我が子の誕生。そして子供の撮影する楽しさを知りました。また、月日は光の様に一瞬で過ぎ去る。そして悲しいけど記憶は失われる。子供の成長はしっかり写真として記録しないともったいない。と改めて写真の大切さを実感。今しか撮れない素敵な子ども達をもっと撮りたい。また、たくさんの子どもの大切な瞬間とご家族の自然な飾らない日常の “今” を大切に切り取りたい。元来の子ども好きの性格に拍車がかかり、撮影意欲にかられてついには、こども写真館en-studioを世田谷にオープンさせました。撮影させて頂いたお写真が1年、3年、10年と月日を経て成人式の日にご家族みんなでお写真を見ながら当時を振り返り談笑する様子や、結婚式のスライドショーで撮影したおもしろ写真が、会場を爆笑の渦を巻き起こす光景を想像しながらワクワクしながら準備にあたりました。

しかし、開業するのに人生で初の300万の借金。マジで不安。と言うようり恐怖でした。もし、失敗したら大損害。ただ、自信はありました。当時の写真館のクオリティはホームページのメインビジュアルに白とびした赤ちゃんを堂々と使用しているレベル。そんな写真館にも予約が入っている。

写真のクオリティ良し!実績良し!コンセプト良し!楽勝で勝てると思いスタートしたが初月売上0円。どうして、低クオリティの写真館にこんな実績もクオリティも高い自分が負けるか。。。ショックから理由を考えました。そして初めてビジネスには原理原則がある事を知りました。まず、お客様に知ってもらえなければお越し頂く事はない。そんな基本的な事も全く知りませんでした。インターネットや書籍からマーケティングを鬼の様に学びました。学び行動する中で売上は少しずつ上昇。その後、最高月収300万を達成。撮影した人数は1万人を超えのめちゃベテランです。

現在はフォトグラファーを外注で依頼する事も増えたので求人を出すと、すぐに20人、30人と応募が殺到し通知が止まらない。

面接をさせて頂くと、写真で何とか食べていきたい!お話を伺い作品を拝見すると、どれ位の実力があるフォトグラファーか手に取るようにわかります。恐らく見分けるスキルはクライアントより高い。経験も豊富なフォトグラファーが仕事がなくて悩んでいる。私も同じ事を経験しているので気持ちが痛いほどよくわかりました。

実は、まじめで撮影スキルが高いフォトグラファーほどマーケティングが弱い。よくあの技術であの仕事をうけたよね。と不思議に思う方は意外と多いはず。実は、稼ぐ為には撮影スキルも必要だが、更にマーケティングのスキルが絶対に必要不可欠です。

両方あれば、鬼に金棒!

カメラがあれば手軽にスタート出来る職業であり、私はプロです。と名乗れば誰でもフォトグラファーです。

スキルなどはユーチューブを見れば簡単に身についてしまいます。

カメラマンとして生き抜くには、沢山のフォトグラファーと私はここが違いますよ!と差別化させるブランディングが必要です。掃除機と言えば「ダイソン」と同じです。フォトグラファーと言えば〇〇。この様に収益化するにはブランディングとマーケティングのスキルが絶対に必要になります。

そして、お申込ボタンのサイズや色を変えただけで成約率が変わる事知りました。
ブログが寝ている間も働く様に、プロフィール写真も24時間成約率を上げてくれるのでは?と思った事がきっかけプロフィール写真_研究家としてスタート

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長くなりましたが、私でも道は開けたので絶対に大丈夫です。

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ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ほんぼう。

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